スタッフ紹介

大瀬 智哉(おおせ ともや):整体担当 (施術歴10年)

大瀬 智哉(おおせ ともや):整体担当 (施術歴10年)

出身
広島県福山市春日町
資格
柔道整復師(国家資格)
趣味
カメラ、料理(おでん、揚げ物、お好み焼き)自転車
出身高校
葦陽高校出身(サッカー部)
家族構成
妻と娘と息子の家族4人

【誕生】

三人兄弟の末っ子として生まれました。

兄と姉がいます。

 

【幼少期】

基本、目立ちたがり屋で、お調子者でした。

お姉ちゃんの着物を着て写真を撮ってもらった記憶があります。

幼稚園のニワトリ小屋の掃除が嫌いで、泣いていることもありました。

(当時は、ニワトリが恐かったんです。)

【小学生時代】

基本の目立ちたがり屋とお調子者は相変わらずでしたが、高学年になるにつれ、自分の能力などを理解したのか段々と目立ちたがり屋はなくなり、少しずつ大人しくなっていきました。

小学4年生の春からサッカーを始めました。

毎日、サッカーに明け暮れる日々で、練習は一切休まず鉄人と言われていました。

ちなみに、ポジションはゴールキーパーでした。

【中学生時代】

サッカーに明け暮れる日々は変わらずでした。

鉄人っぷりも変わらなかったのですが、ついに休む日がきてしまいました。

中学2年生の時に、先天的な心臓の病気が見つかり手術することに決まったのです。

検査入院や手術での入院はとても暇だったのを覚えています。

ですが、色々と制限がありしんどかったり、痛みが結構あったりしたのは覚えています。

中学2年生でも小児病棟に入院したのも衝撃的でした。

【高校時代】

相変わらずのサッカーの日々でした。

ですが、文武両道を目指し頑張っていました。

このころには、目立ちたがり屋は全くなく、どちらかと言いますと目立たないタイプだったと自分では思っています。

【専門学生時代】

大阪の森ノ宮医療学園専門学校に入学し柔道整復師の国家資格を習得しました。

大阪時代は勉強とバイトばかりでした。

一人暮らしの資金(家賃、食費など)はバイトでやりくりするため、病院のリハビリ室と居酒屋を掛け持ちし、俗に言う苦学生だったと自分では思っています。

勉強に関しては、赤点などを取ることなく、留年もなく頑張りました。

【卒業後】

大阪で2年間、整骨院で働きました。

その後、福山に帰ってき、約10年間、整骨院で働きました。

整骨院で働き、色々と学びました。

【施術に対する想い】

僕は小学生のときからずっとサッカーをしていました。

捻挫や骨折などで一時的にサッカーを出来ないことはあったのですが、半年間出来ない期間がありました。

それは、忘れもしない中学2年の時に

心臓の病気が見つかりました。

病名は心房中隔欠損症と言う病気です。

病気が見つかるまではサッカーもしてたしマラソン大会でも上位になるぐらい普通に運動をしていました。

手術をすることになりしばらく大好きなサッカーが出来ませんでした。

 

手術後は痛みで思うように生活が出来ませんでした。

またサッカーが出来るのか?

いつもの生活が出来るのか?

と不安な毎日送っていました。

 

そうこうしていると時間の経過とともに体もよくなり

サッカーが出来るようになりました。

 

そういう想いをしているので

僕が関われる人でそういった痛み、辛さを感じる前に対策ができたらいいなと言う

想いで施術をさせて頂いております。

吉岡 渉(よしおか わたる):整体担当

吉岡 渉(よしおか わたる):整体担当

資格
鍼灸師免許
趣味
ゴルフ・釣り・漫画
家族構成
妻・娘・息子

☆出身地 …和歌山県出身、海南市育ち☆趣味 …PC,テニス、ランニング、自転車

☆好きな言葉 …笑う院には福来たる

☆職場でのモットー …絶対に役にたつ!!

【吉岡先生のイメージ】
絶対に改善してくれる
優しい
話しやすい
いいひと
おもしろい
まじめ
落ち着いている

誕生

和歌山市の産婦人科で男兄弟3人の末っ子として生まれてきました。
凄く活発でよく動き、よく食べて、よく寝ていたそうです。

幼少期

上の兄弟とは年齢が離れていたので、みんなに「かわいい、かわいい」と言われて育ちました。
小さいころは、よく魚をすくいに川に入り泥んこまみれになって帰ってきました。

小学生時代

家族旅行でよく紀南(和歌山の南の方)の方によく旅行に行きました。
写真は和歌山で有名な那智の滝と言われる場所です。

中学時代

サッカー部のキャプテンをしていました。

大学時代

関西医療大学に入学し、鍼と灸の資格を取りました。勉強以外にも、海外にボランティア活動にも参加しました。
写真は2004年のスマトラ沖大地震で被害にあったスリランカでの
活動写真。
もう一枚が、2005年に開催された愛・地球博でお灸の講座をした写真です

卒業

卒後は、愛媛県の病院で5年間働きました。
そこで妻と出会い、和歌山に帰りMIYAI整体院に就職。MIYAI整体院は和歌山市では有名な整体院で、年間15000人以上が来院すると言う大きな整体院でした。私はそこで院長をさせて頂いておりましたが、妻の母親が交通事故に遭い生活が難しくなりました。
妻自身凄く不安定になり、これは動かなくてはいけないと考えて妻の実家に出来るだけ近いところで、かつ大阪や名古屋の勉強会に行きやすい所と言うことで、この福山市で開業する事を決意しました。

吉岡渉の施術に対する想い

院長の吉岡です。
私は小さい頃から体を動かす事が大好きで、水泳・少林寺・サッカーなどをしてきました。
中学生の頃はサッカー部でキャプテンをしていました。
ただ、怪我が多く足首の捻挫に悩まされていました。
捻挫を改善させるために整骨院を3件も通うも改善されず・・・
その間、ボールを思いっきり蹴ることが出来ず練習さえ思うように出来ませんでした。母が周りの知り合いから奈良のカイロプラクティックが良いらしいと聞いてきてくれて
電車を乗り継ぎ3時間掛かる所に通うが改善されず。
周りのチームメイトからは、段々と「痛がりすぎ」「大げさ」「あいつの体おかしい」と言われ、自分自身でさえも自分の体は本当におかしいと精神的に思いやられていました。
そんな状況で僕は気持ちが沈んでいましたが、母が諦めずにとある整骨院を知り合いから聞いてきました。
そこは、整骨院なのにマッサージや電気はしないキチンと足首の施術が出来る所で5回ほど通うと痛みがなくなり、快適にサッカーができるようになりました。
1年以上苦しんでいた辛さから解放された嬉しさは今でも覚えています。
この時に、もっと早くこの先生に会っていれば、サッカー部のキャプテンとしてもっと練習に打ち込めたのではないか?キャプテンなのにずっとベンチでいなくて済んだのではないかと凄く悲しくて悔しかったです。
そんな悲しくて悔しかった時期に
「絶対に改善させられる先生に僕がなろう!!」
と強く決心しました。それがこの施術の世界に入るきっかけになりました。
それから、鍼灸師の国家資格を合格し、まずは鍼灸の道を追求するために鍼灸の有名な先生の所で修業しました。
ただ鍼灸だけでは改善させる事が難しい状態も出てきたので、次は整体の修業をすることにより、鍼灸と整体の両方のアプローチができるようになりました。
そうすると、
腰のヘルニアで痛くて、もう手術するしかない
頭痛が10年以上続いていて毎日痛み止めを飲んでいる
不妊で40歳過ぎているので諦めている
プロのサッカー選手になりたいけど、膝が痛くて練習が出来ない
肩から腕にかけて激痛がはしり生きているのが辛い
こんな重い状態さえ、改善させられるようになりました。僕は全てのことには意味があると考えて生きています。
僕がサッカー部のキャプテンで足首を故障し大事な試合に出られなかったのも、先ほどのように辛い状態の方を改善させられるようになるために、足首の故障をしたのだと考えています。
もし、この文章を読んで頂いて心に何か響くものがあれば今すぐご連絡ください。僕は絶対にあなたのお役にたつという想いで毎日患者さんと接しています。

後藤 貴代:巻き爪・心理ケアスタッフ

後藤 貴代:巻き爪・心理ケアスタッフ

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